日中友好話④自分の魂の懸け時を知る重要さを日本と大陸から学ぶ。
皆様、こんにちは!DOJOサポーターのゲリラ工作員もどきしている普通の婦女子、ランランと申します。
今回は、日中の大陸の英雄から魂の懸け時をご紹介したく思います。
大陸では公私と言えば私を取り、他人には冷たく、引いては上の人にも冷たいという印象があります。
特に八路軍では私利私欲の人物が富を得やすく、ドロドロの利権争いをして他者を顧みない様子です。
ただ、大陸にも公を考えて魂を懸けた人物がいました。
古で言えば、敵の大軍の中に自分を顧みず、単身突撃し、主君の家族を護ったと言われ、今も大陸と日本で忠義で一筋と人気がある三国志時代の武将・趙雲がいます。
普通なら劣勢で死ぬ危険が大な状況で、我が身を第一にしてもおかしくない中、彼は公私の公を取り魂を懸けて道を切り開きました。
また、八路軍が天下を取る前の時代で言えば、命懸けて「民族」「民権」「民生」の「三民主義」を唱え、革命を目指した孫文やその同志達でしょうか、彼らは公私より公を取っていたと思われます。(孫文は後に日和ってしまいましたが。)
よく敵に捕まりそうになった際に身を挺して同志を逃がす、という場面が大陸の映画などにも度々観られ、反日とセットでしたが、大陸にいた際に良くお茶の間に流れ、実際孫文達が生き残れたのは亡命先の日本を含め、周りの味方をした人が身を挺した助力がないと不可能だったかと思いました。
最後に魂を懸けて、無茶な政策で国民の飢餓を大量に出した毛沢東を諌め、誅殺された劉少奇ですが、彼は公私の公をとり、国の立て直しを繰り返し毛沢東に訴えたさい、毛沢東に「何を焦っているのか。足下が崩れかかっておるんだぞ。どうして支えようとしないのかね。わたしが死んだらどうするつもりだ!」と批判したのに対して、劉少奇が「飢えた人間同士がお互いに食らい合っているんです。歴史に記録されますぞ」と答えたエピソードがあります。(Wikipedia参照)
劉少奇としてはこの後自分の命運がどうなるかは、覚悟の上で毛沢東個人の情より、国・国民を立て直す義を取ったと思います。
最後に、日本の戦前・戦後に戦火を潜り抜け、軍人・政治家を担った源田実氏をご紹介したく思います。
源田実氏は戦前では司令となり、航空最強部隊・剣部隊を創設し、日本の国防に部隊の英雄達と死力を尽くし、戦後は政治家として日本の国力回復に働き、またオリンピックで観られるブルーインパルスを創設し八面六臂の活躍をしました。常に国や仲間の為に戦場で戦っていたと推察します。
しかも、なんとこの源田実氏がいたのは自民党で、今の国の行く末を見て見ぬ振りする輩がのさばっているきらいがある自民党を見たら何て言うのか想像してしまいます。”国会で日本語が通じないと思ったが、一番日本語が通じない輩は身内のコイツらか。”でしょうか。
公私を考え、魂の懸け時を見誤らないようお互いに気を付けて参りたく感じた次第です。魂の懸け時にご注意を。
『三国志』はNHK人形劇でしか知らない私ですが、趙雲は少々地味ながらもすごく好感の持てるキャラとして印象に残っています。
孫文は『大東亜論』で描かれたらどうなっていたか、今思っても惜しい…。
「魂を懸ける」というのは「私」を殺すということとかなり近いと思いますが、「滅私奉公」が悪いことのように教え込まれる現在の日本に、それができる人はどれほどいるでしょうか。
やはり、『枯レルヤ』第4回の、あのマトリクス図を意識して生きていくことは非常に重要だと思います。